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若者の5人に1人が何らかのこころの不調を抱えるともいわれる現代。専門職の不足や受診への心理的ハードル,支援体制の地域格差といった課題から,十分なケアが行き届いていない現状がある。こうしたなか,スマートフォンアプリやウェアラブルデバイスなどのデジタルツールを活用したメンタルヘルス支援が急速に注目を集めている。第99回日本薬理学会年会(2026年3月17日,仙台)の公募シンポジウム24では,「メンタルヘルスケアのデジタルシフト」をテーマに,最新のデジタルソリューションの科学的根拠や社会実装の可能性が議論された。本稿では,座長を務めた宮﨑智之先生(横浜市立大学)の導入講演を中心に,行動活性化アプリ「ZOO レポ」と音楽×脳波計を活用したアプローチを紹介する。

「病気の手前」にどう介入するか──年間約7.6兆円の経済損失という現実

シンポジウムの座長を務めた宮﨑智之先生(横浜市立大学)は,導入講演でメンタルヘルス課題の全体像を俯瞰した。宮﨑先生が率いるプロジェクトは,科学技術振興機構(JST)の大型研究プログラムとして複数の大学・企業・行政機関が参画する産学官共創の取り組みだ。

宮﨑先生が強調したのは,「病気の手前」の段階への介入の重要性である。うつ病や不安障害といった精神疾患の診断基準を満たさないものの,心のパフォーマンスが低下している状態(いわば「未病」の領域)に着目する。宮﨑先生らのチームが2025年に発表した試算によれば,メンタルヘルス課題に起因する従業員のパフォーマンス低下(プレゼンティーズム)による経済損失は年間約7.3兆円,欠勤(アブセンティーズム)による損失は約0.3兆円,合計で約7.6兆円にのぼる。これは日本のGDPの約1.1%に相当する数字だ1)

しかし,「病気の手前」であるがゆえに医薬品や医療機器は適用しにくく,本人も自分が不調であるとは気づきにくい。加えて,従来のメンタルヘルスアプリでは継続率の低さが世界的な課題となっている。宮﨑先生らのプロジェクトが目指すのは,こうしたハードルを越えるための「楽しくやり続けることで心のパフォーマンスが改善する」ソリューションの開発だという。

プロジェクトの基本的なアプローチは大きく2つある。1つは,心理的レジリエンス(困難な状況に対する適応力)を高めるコンテンツの開発。もう1つは,脆弱性を受け入れる環境の整備,例えばアバターによるカウンセリングで心理的障壁を下げるなど,安心して自分の状態と向き合える場を提供する取り組みだ。

本シンポジウムでは,この2つのアプローチに沿った「行動活性化アプリによるセルフケア支援」「デジタルツイン技術を活用した対人不安の軽減」「音楽と脳波計測の融合による精神支援」「メタバースを活用した発達障害児のコミュニケーション支援」と,多彩なアプローチが並んだ。

動物を育てて心を整える──行動活性化アプリ「ZOO レポ」の挑戦

「こころの不調を抱える若者に,治療ではなくゲームを届ける」──そんな発想のアプリが紹介された。

「行動活性化」をゲームに変換する

山里亜未先生(横浜市立大学)が共同開発した「ZOO レポ」を起動すると,少し元気のない動物たちが画面に現れる。クマ,チーター,ペンギン,パンダ──それぞれが睡眠,運動,家事,食事に対応しており,ユーザーがスヌーズを使わずに起きればクマが元気になり,家事をこなせば別のキャラクターが成長する。一見するとよくある育成ゲームだが,その裏側には,うつ病に対する心理療法として確立された「行動活性化」の理論がしっかりと組み込まれている。

行動活性化とは,回避しがちな日常行動を少しずつ増やすことで報酬体験を積み重ね,気分の改善を目指すアプローチだ。認知行動療法(CBT)と同等の効果が示されつつ,CBTよりも簡便で習得しやすいことから注目を集めている。ZOO レポは,この「行動を変えれば気分も変わる」というメカニズムを,動物育成というゲーム体験に変換した。さらに気分の評価機能も搭載されており,自分の行動パターンと気分の関係を視覚的に振り返ることもできる。

「病気の手前」の若者にどう届けるか

山里先生がこのアプリで狙うのは,「病気の手前」にいる若者たちだ。大うつ病の診断基準は満たさないが,気分の落ち込みやパフォーマンスの低下を抱えている状態(閾値下うつ,いわゆる「未病」状態)である。放置すれば将来の大うつ病発症リスクが高まることが知られているが,本人に「病院に行くほどではない」という意識があるうえ,精神科受診へのスティグマも重なり,医療にはつながりにくい。

だからこそ,日常的に手元にあるスマートフォンが介入の入り口になる。ZOO レポの設計思想は,「治療」を意識させず,動物を育てる楽しさのなかで自然と行動が変わっていくところにある。

楽しいから続く──探索的RCTの手応え

とはいえ,デジタルメンタルヘルスの領域では「アプリを入れても続かない」という継続率の低さが世界的な課題だ。そこに対するZOO レポの解答が,ゲーミフィケーション(遊びの要素を取り入れた設計)である。楽しいから続く,続くから行動が変わる,行動が変わるから気分も変わる──その好循環を狙っている。

実際,山里先生らが若年層を対象に実施した探索的ランダム化比較試験(RCT)では,高い継続率が確認されたという。加えて,疲労感をはじめとする複数の評価指標で改善傾向が認められたことも報告された。

好きな音楽がそのまま脳のトレーニングになる──音楽×イヤホン型脳波計の融合

音楽とドパミン──薬理学との接点

藤井進也先生(慶應義塾大学)の講演では,まず音楽と薬理学の接点が示された。好きな音楽を聴くと脳の線条体でドパミンが放出されることが,2011年に陽電子放射断層撮影(PET)で確認され,機能的磁気共鳴画像法(fMRI)による解析でも裏づけられている2)。さらに2019年には,ドパミン前駆体(レボドパ)の投与で音楽から得られる快感が増強し,セロトニン・ドパミン拮抗薬(SDA)であるリスペリドンで減弱するという因果関係も報告されている3)

イヤホンが脳波計になる時代

藤井先生が注目するのは,こうしたドパミン系だけではない。統合失調症の患者ではミスマッチ陰性電位(MMN)や聴覚定常状態反応(ASSR)といった脳波指標が低下することが知られており,これらは精神疾患の客観的なバイオマーカー候補として注目されている。もしこうした指標を日常的にモニタリングし,変化に応じて音楽で介入できれば,薬物に頼らない新しいケアのかたちが見えてくる。

その可能性を現実的なものにしているのが,近年登場したイヤホン型脳波計だ。藤井先生が講演で紹介したデバイスは,一見すると普通のイヤホンだが,イヤーチップ部分が電極になっており,音楽を聴きながら脳波を同時に測定できる。医療用脳波計のようにジェルを塗布して多数の電極を装着する必要もなく,MMNやASSRも十分な精度で捉えられるという。

不快な40Hz刺激を「好きな曲」に変える

では,「介入に使う音楽」はどう設計するのか。脳波を活用したアプローチは統合失調症だけでなく,認知症の領域でも注目を集めている。2016年,40Hzのガンマ刺激がアルツハイマー病モデルマウスにおいてアミロイドβの蓄積を減少させたとする研究がNature誌に報告され4),ガンマ波刺激への関心が一気に高まった。ただし,40Hzの単純音をそのまま聴くと非常に不快で,毎日続けるのは現実的ではない。

そこで藤井先生らが開発したのは,この課題を解決する技術である。あらゆる音楽をガンマ波の周波数帯で変調させることで,好きな曲であれば何でも「ガンマ化」できることを見出した。ドラム,ベース,キーボードといった個々の楽器パートにも適用可能で,それらを組み合わせた「ガンマバンド」という構想も紹介された。

脳波を測定すると,ガンマ音楽を聴いている間は40Hz帯域の脳波パワーがしっかり増強される。不快な単純音ではリラックス状態を維持できないのに対し,ガンマ音楽なら快適さを保ったまま刺激を受けられるという点が大きい。

サウナの「ととのう」を音楽で再現する

藤井先生のアプローチはガンマ波にとどまらない。講演で紹介された研究の1つに,サウナで「ととのう」状態の脳科学的な解明がある。2023年に発表された研究では,サウナを3セット繰り返すとシータ波(4〜8Hz)やアルファ波のパワーが増加することが報告された5)。この知見をもとに,音楽でシータ波を増強できれば,サウナに行かなくても「ととのう」体験に近い脳状態を再現できるのではないか。

実際に開発されたシータ増強音楽を用いた実験では,通常の音楽や無音と比較して,シータ波のパワーが有意に増加し,唾液アミラーゼ(ストレス指標)の低下やリラックス感の向上も認められた。さらに,MMNの反応にも変化がみられたという。将来的に,こうした脳波指標が精神疾患のバイオマーカーとして活用されるなら,音楽介入によって薬物を使わずに指標を改善していくというアプローチも現実味を帯びてくる。

「音楽を処方する」未来に向けて

「音楽を薬として処方する」──この構想は,すでに国家レベルで動き始めている。2019年には米国国立衛生研究所(NIH)が,音楽の神経科学的メカニズムの解明と臨床応用を目指す大規模プロジェクトに投資を行った。藤井先生が音楽×神経科学に関する各国の論文数を分析したところ,論文数では米国が圧倒的にリードしている。日本は情報工学の技術力では強みをもつが,臨床研究や社会実装の面ではまだこれからだという。ただし,日本の音楽産業は世界第2位の市場規模を誇る。藤井先生は「デジタルツールと音楽コンテンツ──この2つの強みを組み合わせれば,日本発の新しいメンタルヘルス支援を生み出せるのではないか」と展望を語った。

デジタルが拓くメンタルヘルスケアのこれから

本シンポジウムでは,このほかにも高山千尋先生(NTT)がデジタルツイン技術「Another Me」を用いた対人不安の軽減研究を,Skiers Kinga先生(慶應義塾大学)がメタバースを活用した発達障害児のコミュニケーション支援をそれぞれ報告している。いずれも,デジタル技術によって「心理的に安全な空間」を創出し,従来の治療では難しかったアプローチを実現しようとする試みである。

シンポジウム全体を通じて浮かび上がったのは,「病気の手前」の段階にどう介入するかという問いである。座長の宮﨑先生が導入で述べたように,この段階では医薬品の適用が難しい。しかし,ZOO レポのような行動変容アプリや,音楽を用いた脳波への介入は,まさにこの領域でのセルフケア支援として機能し得る。

デジタルメンタルヘルスの領域は急速に進展しており,その科学的根拠も着実に蓄積されつつある。玉石混交のなかから真に有効なツールを見極め,患者や生活者のセルフケアに適切な情報提供をしていくために,こうした最新の研究動向を把握しておくことは,薬剤師にとっても意義があるだろう。

引用文献

1) Hara K, et al: The Impact of Productivity Loss From Presenteeism and Absenteeism on Mental Health in Japan. J Occup Environ Med, 67: 699-704, 2025

2) Salimpoor VN, et al: Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nat Neurosci, 14: 257-262, 2011

3) Ferreri L, et al: Dopamine modulates the reward experiences elicited by music. Proc Natl Acad Sci USA, 116: 3793-3798, 2019

4) Iaccarino HF, et al: Gamma frequency entrainment attenuates amyloid load and modifies microglia. Nature, 540: 230-235, 2016

5) Chang M, et al: A study on neural changes induced by sauna bathing: Neural basis of the "totonou" state. PLoS One, 18: e0294137, 2023

(文・「調剤と情報」編集部)