第90回日本循環器学会学術集会(JCS2026) シンポジウム10
心不全は本当に「予防」できるのか
──ステージA・Bからの介入戦略を再考する
心不全治療の進歩は目覚ましい。しかし,いったん発症すれば入退院を繰り返しながら徐々に悪化していくという疾患の本質は変わらない。であるならば,発症そのものを防ぐことはできないのか。第90回日本循環器学会学術集会(JCS2026)のシンポジウム10では,桑原宏一郎先生(信州大学 循環器内科)と北井豪先生(国立循環器病研究センター 心不全・移植部門)が座長を務め,6名の演者がステージA(心不全リスク)・ステージB(前心不全)からの予防戦略を多角的に論じた。本稿では,心不全発症リスクを有する患者におけるミネラルコルチコイド受容体(MR)の過剰活性化をテーマとした小林正武先生(東京医科大学病院)の講演を中心に紹介する。
セリエの実験から80年──MR過剰活性化と心不全の関係
講演の冒頭で取り上げられたのは,ストレス学説の祖として知られるハンス・セリエの実験(1943年)である。ラットに過剰な塩分負荷とデオキシコルチコステロン(DOCA)を投与すると,心筋の線維化と腎硬化症が生じることをセリエは示した。この実験から80年以上が経過し,MRの過剰活性化が心臓・腎臓・血管における炎症と線維化を促進するメカニズムの理解は飛躍的に深まっている。
講演で強調されたのは,MRを活性化する経路がアルドステロンだけではないという点だ。コルチゾール自体もMRに結合して活性化する可能性があり,さらにはリガンドに依存しないRac1経路も報告されている。特に高齢者では,副腎皮質からのアルドステロン分泌は低下するものの,病的な細胞が増えることで結果的にアルドステロン量は維持される。加えて,コルチゾールを不活性化する酵素(11β-HSD2)の発現がダウンレギュレーションされるため,コルチゾールを介したMR活性化も亢進する。Rac1経路も活性化するという三重の経路が,高齢者の心不全リスクを底上げしているというわけである。
こうした知見を踏まえ,小林先生は「ステージA・Bに属するような集団,例えば糖尿病や冠動脈疾患,構造的リモデリングを有する患者では,これら複数の経路を介してMRが既に過剰活性化している可能性がある。その状態を早期にブロックすることで,心不全発症のリスクを下げられるのではないか」との仮説を提示した。
HOMAGE試験──スピロノラクトンの抗線維化作用を検証
この仮説を支持するエビデンスとして紹介されたのが,HOMAGE試験のデータである。HOMAGE試験は,心不全発症リスクの高い60歳以上の527例を対象に,スピロノラクトンの抗線維化作用を評価した9カ月間の無作為化比較試験である1)。
本試験では,Ⅰ型コラーゲンの合成マーカーであるprocollagen type I C-terminal propeptide(PICP)を主要評価項目の一つとして測定した。結果,スピロノラクトン群ではPICPが統計学的に有意に低下し(群間差 −8.1μg/L,p<0.0001),しかもその効果は投与1カ月の段階で既に認められた1)。
注目すべきは,小林先生自身が筆頭著者として報告したサブ解析2)の知見である。ベースラインのPICP高値は左室肥大や左房拡大,拡張障害と関連し,スピロノラクトンによるPICP低下は拡張機能の改善(E/e'の低下)と相関していた。さらに,エコーによるクラスタリング解析では「わずかな拡張障害とリモデリングを有する群」が将来の心不全発症リスクと強く関連しており,MRAはまさにその群で効果が顕著であったという。
「心不全が顕在化する前の段階,すなわち線維化が進みつつあるが症状はまだない段階でMRAを介入させることに意義がある。線維化がさらに進行した集団では効果が減弱する可能性があり,早期介入がカギとなる」と小林先生は結論づけた。
フィネレノンへの期待──CKD・糖尿病合併例でのエビデンス
講演の後半では,第三世代の非ステロイド型MRAであるフィネレノンにも話題が及んだ。FIDELIO-DKD試験およびFIGARO-DKD試験では,2型糖尿病を合併するCKD患者において,フィネレノンが腎機能の状態を問わず心不全発症リスクを低減することが示されている。「ステージA・Bに属するようなCKM(心血管・腎・代謝)症候群の患者集団においても,MRの過剰活性化を早期にブロックすることで,将来の心不全発症を予防できる可能性がある」との見解が示された。
「予防」というパラダイムシフトへ
討論では,座長の桑原先生から「MRAの世代によって効果発現のタイミングや特性が異なる点も考慮すべきだ」とコメントがあった。これに対し小林先生は「フィネレノンはスピロノラクトンと比べて早期に効果が発現する特性があり,早期介入という文脈ではより適している可能性がある。一方,エサキセレノンのような降圧効果の高いMRAも,血圧管理を通じた予防という観点では有用だろう」と応じた。
2025年に改訂された心不全診療ガイドラインでは,ステージA/Bからの早期介入が強く打ち出され,BNP/NT-proBNPによるスクリーニングの推奨や,SGLT2阻害薬・フィネレノンの予防的使用も盛り込まれている。本シンポジウムは,こうしたガイドラインの方向性を裏づけるエビデンスと課題を浮き彫りにするものであった。心不全が「治療する病気」から「予防する病気」へと転換するなかで,薬剤師にもステージA・Bの段階からリスク因子の管理に関わる役割が求められている。
引用文献
1) Cleland JGF, et al: The effect of spironolactone on cardiovascular function and markers of fibrosis in people at increased risk of developing heart failure: the Heart 'OMics' in AGEing (HOMAGE) randomized clinical trial. Eur Heart J, 42: 684-696, 2021
2) Kobayashi M, et al: The association between markers of type I collagen synthesis and echocardiographic response to spironolactone in patients at risk of heart failure: findings from the HOMAGE trial. Eur J Heart Fail, 24: 1559-1568, 2022
(取材・文:編集部)